Mail

 過日、フィンランドに渡った知人からメールが届きました。このサイトを開設した知らせへの返信です。海外とのメールのやりとりはこれまでにもあるけれど、僕の人生の地図に絶えて乗ったことのないフィンランドという国から、というのがなにやら新鮮で、あらためて文明の利器の便利さに感心しました。

 僕がフランスに渡った頃は、メールどころかインターネットも存在せず、日本との通信手段は、会社の業務はテレックスという、ナチスの無線将校が使っていそうな妙に秘密めいた暗号器のような代物で、私信は手紙でした。

 その頃僕は、パリのアパルトマンをルームシェアしていました。風呂とトイレは共同で、部屋に鍵をつけて、それぞれが使用するのです。全部で三部屋あり、間借り人が二部屋を、残り一部屋を家主が事務所にしていました。当然各部屋にポストは無く、一階の共同ポストには鍵がかかってていました。

 週に三日ほど、太鼓腹を揺らしながらやって来る、家主のムッシューコンボーが、ポストを開けて手紙の束を振り分け、各部屋の扉の隙間に差し込んでくれるまで、手紙は届きません。当時のエアメールは片道で五日ほど。どうかすると、やれ郵便局のストだ、誤配達だと、遅れに遅れて、その上ムッシュコンボーの太鼓腹次第とあれば、手元に着く頃には日本に書き送った話をすっかり忘れていたり、後から出した手紙が先に着いてしまって話の辻褄が合わなかったりしたものです。
 余計な一言を書いてしまったとか、無事に届いていないのではないかとか、たった一通の手紙に思い悩むことばかりで、不便なものでした。
 でも、アパルトマンの扉の隙間に赤白青の縁取りを見つけた時の喜びは今でも忘れません。何日も遠い異国で待ちわびたエアメールの封を切る瞬間は、ささやかな幸福の時間でした。
 
 文明がもたらす最大の恩恵は時間でしょう。早いということが文明の利点です。移動が早く、調理が早く、知らせが早い。
 でも詩は何時も待つことの中から生まれます。
 文明はもたらしてくれたものよりも、奪っていったものの方が多いように思います。

 今年のクリスマスには海外にいる友人知人に、出来るだけエアメールの、あの赤白青の縁取りの、手紙を出そうと思うのです。