アメリカ

 パンパン!
 兄と二人ソリに乗って遊んでいると、銃声が聞こえました。歩道の両側には除雪された雪が子供の腰のあたりまで積もり、真っ白な駐車車両が並んだ車道。抜けるように青く澄み渡った空。雪景色はきらきらとまぶしく、あたりに人影はありませんでした。
 目と口だけ空いた毛糸のマスクをかぶったまま、兄と僕が白い息を吐きながら、辺りを見回すと「ヤッホー」と叫ぶ声。
 見上げると隣家の屋根裏部屋の両開きの窓が空いて、そこから銃口が、、。
 兄と僕は一瞬顔を見合わせてから、隣家のスロープを駆け上がっていました。それが、戦争ごっこの始まりで、ケイビン達との出会いでした。

 1960年代のボストンでは、ほとんどのアメリカ人は東洋人はみんなチャイニーズだと思っていたフシがあります。町で東洋人を見かけた憶えもありません。父の仕事の関係で、僕はごく幼い頃にアメリカに渡りました。1年半程度の滞在だったと思うのですが、人生で一番一日が長い頃のことですから、その日々は僕にとっては重要な幼少期の記憶になっています。

 ドラッグストアには、ソーダファウンテン、ガチャガチャ、ソフトクリームや風船ガムが置いてあり、どれもが、原色の色使いで、当時の日本にはない軽快で陽気な色彩が溢れていました。安っぽい原色が好きなのは、美的センスの幼稚さの現れですが、
 一色一色に二千年の時間の膜がかかったような、繊細でくぐもった色使いの国から来た少年には、そのおもちゃ箱をひっくり返したような世界は、新鮮な驚きでした。

 後に、ポップアート一世風靡した時、ちょっと胸に迫る懐かしさと安らぎを感じて、自分の記憶の中で、あれらの日々が想像以上に大きなものであったのを知りました。ポップアートは大衆的な消費社会の素材を意図的にキッチュに表現したアートとして色々喧しく分析されていましたが、存外彼らはもっと素直に自分の原風景を描いているだけなのではないか、と感じたものです。

 ケイビンは小柄で敏捷な黒人の少年でした。
 僕の友達は、黒人とプエルトリカンとプアホワイトと呼ばれる白人の子供達でしたが、その意味が分かったのはずっとずっと後年のことです。

 誰もが子供に優しいアメリカ。道行く人が気さくに笑顔で話しかけるアメリカ。極彩色のアメリカ、そしてケイビンとボビーと、プアホワイトの子供達だけで遊ぶアメリカ。

 僕の記憶の中のアメリカは、今でも極彩色で、そして少しだけ陰りのある色をしています。