竹久夢二 

 竹久夢二の装丁や挿画を展示していると知って、夢二美術館に向かいました。

 本郷弥生の交差点を東大工学部のレンガ塀に沿って根津に向かい、途中暗闇坂を右に折れてだらだらと下る左手に美術館はありました。一戸建ての民家を改装しただけの小さな美術館で、夢二らしいと言えば言えるかも知れません。立派な建物の分厚いガラスの向こうに鎮座する夢二は、あまり似合わないような気もします。

 夢二は感のいい絵描きです。感の良さというのは、画家よりもデザイナーに必須の才能なのですが、ちょっとしたドローイングや木版に彼の才能が溢れていて、図版では感得しえないモダンで洗練された色使いに、感心しました。

 彼は日本の美術界では余り評価されません。夢二が好きだと公言するのは、この世界ではちょっとした勇気がいります。
 いわゆるアートらしくないアート、境界線上にひっそりとたたずむようなアートが僕は好きですが、小さな小さな日本の美術界は、その割に境界にうるさいのです。近現代の芸術は、一面で反抗の歴史です。伝統や固定概念にノーと言う事が、歴史をダイナミックなものにしました。

 そんなアウトサイダーの末裔たちが、アウトサイダーを作るというのも変な話です。

 同じ建物にある弥生美術館で、レトロな少女雑誌の特集企画をやっていました。こちらはなかなか盛況で、狭い展示場に雑誌の世界と同化したようなお嬢さんたちが溢れていました。

 こういう事もあろうかとアテにして連れて来た家内は、僕を置き去りにして絵はがきを探しに行ってしまったのです。

 こんな時こそ、側にいてくれなけりゃ困るのに、、。

 ひらひらとフリルのついた服や、真っ赤なベレー帽、なんとも時代がかった乙女の集団に囲まれて、宝塚にでも紛れ込んだような異様な空気に、中年男は身の置き所に困って、そうそうに退散するはめになりました。もう少し落ち着いて見ていたかったのですが。

 という訳で、越えられない境界線もやっぱりあるのです。