あーとふるないと#4アーカイブアップ 小津安二郎 語られないドラマ

小津安二郎 語られないドラマ アーカイブアップしました。

初めて見たのは、パリでした。映画に詳しい訳でもなく、当時は格別の興味も無かったのですが、多くのフランス人の高評価に誘われて、、。
まだ二十歳そこそこの若者が共感するには、小津はちょっとシブ過ぎたようです。当時はなんの感想もなかったです。

記憶の底に沈む小津作品に共感を持つようになるまでに、幾年もかかりました。

芸術作品は、初見では何も感想が無かった作品が、月日を経るに従って、次第に心の表面に浮かび上がって来る事があります。

今展覧会をやっている写楽もそうでした。何度か見てはいるものの、版画技術に疎かったのもあり、サッパリ理解出来なかった写楽作品の映像が、フラッシュバックのように脳裏をよぎったのは、不思議な事に、ルーブルモナリザを見ていた時でした。
「あっ、アレは、、もしかして、スゴいんじゃないだろうか、、」

僕の場合、そんなぐあいに、かつて見た天才の仕事との再会が始まります。
美術作品の再評価のキッカケは、他の作家の作品が多いのですが、小津との再会は、人生経験そのものが引き金でした。

誰も経験するような、生きる事の不条理を垣間見る瞬間を、人生の途上で積み重ねるうちに、いつしか小津の映画の一場面一場面が自然に存在感を増していました。

絵画技術を錬磨して行くうちに、わかって来る作家の力量というものがあります。
多くの作品を見るうちに発見する世界というものもあります。
けれども、人生を経験するうちに、その評価が自分の中で変わったというアーティストは初めてでした。

そんな再評価の体験そのものに、小津の作品の真価が潜んでいるように思います。

名も無きアーティストの極めて個人的な1時間の独り言ですが、、。