平泉 中尊寺



平泉の中尊寺世界遺産に登録されそうだというニュースが流れました。疲弊している東北地方にとっては朗報です。

何年か前に、中尊寺に行きました。

人が少なくて、、静まり返っていて、、とても良かった。

中尊寺は嘉祥3年(850)、比叡山の慈覚大師によって開かれたと言います。
奥州藤原から遡る事、二世紀。
現地に立つと、この寺の建立意図がわかりました。

東西に山並が迫る北上川の流域に沿って、狭い平野が南北に伸びている、、中尊寺はその狭隘な平野を東に見下ろす位置にあります。
細長い山道の斜面は、鬱蒼とした樹々に支えられていて、北上の水面の煌めきはうかがえないけれど、樹々を切り落とせば、斜面がそのまま防御になるでしょう。敵があれば、背後に川を背負って、傾斜地を下から攻め上らなければなりません。
いかにも中世の山城式の、要害の地であることが、実感できます。

五月雨の 降残してや 光堂

一回り大きな建物に被われた金色堂は、予想外に小さなものでした。
陽光が洩れ入る中、金色堂芭蕉の句のままに、たたずんでいました。
金は微熱の色です。幾多の色の中で、金色だけは、病んだような微熱を発します。
コの字に囲まれた観覧用の狭い回廊には、初老の夫婦と、若い一人旅の女性と僕だけで、深閑とした建物の中で、金色堂は、ぼうっと、、輝いていました。

中世初期に栄えたかの地は、藤原氏の滅亡とともに衰退します。以後、その藤原氏を滅ぼした鎌倉も滅び、、時代はこの地を取り残したままに、、変転します。

五月雨に降残され、、、
陽光にわずかな熱を帯びて輝き続けるのは、、
かつて輝いた、奥州の中世の息づかいのように見えました。

江戸時代は近代的感覚を現代とそう変わらず持っていた時代です。芭蕉も、同じように、遠く歴史の彼方に忘れられた中世の姿を見た想いだったのかも知れません。

時の残り香のようなものは、観光地化すると、あっと言う間にかき消されてしまいます。
世界遺産に登録されれば、大量の観光客があの小さな堂に詰めかけるのだろうと思うと、、
朗報ながら、ちょっと憂鬱なニュースでした。

トップの画像は下記のサイトから拝借しました。
岩手県の町並みと歴史建築

中尊寺の公式ホームページです。

【公式】関山 中尊寺[岩手県平泉 天台宗東北大本山]