パリの教会

 先週末、義母の訃報の知らせに、田園調布の教会に行きました。体の芯が凍る寒風の中、東急東横線多摩川駅から教会に向かう人気の無い坂道は、パリの冬のようで、微熱の体には応えたけれど、なにやら妙に懐かしい風景でした。

 幾度かの引っ越しの末に、貧しい日本人夫婦がフランスを離れるその日まで、最も長くその歳月を過ごしたアパルトマンは、パリの東南のナシオナルというところにありました。

 駅を降りて、なだらかな坂が続く一本道を教会に向かって歩きます、、ここまで書いて、どうしても名前が出て来ません。モーリスユトリロも描いた有名な教会なのですが。
 地図を開いても記憶が曖昧でわかりません。そこで初めてグーグルアースを覗いてみましたが、随分記憶と違います。

 本当にナシオナルで良かったのだろうか、隣の駅じゃなかったろうか?駅からまっすぐに伸びている道が無いぞ。だんだん自分の記憶に自信がなくなります。

 駅を出てすぐ左手に小さなスーパーマーケットがあるだけの殺風景な町。街路の両側に特徴の無い近代的な五階建てのアパルトマンが続く坂道。その先に見える、教会の白い尖塔。風に揺れる並木。鈍色の空。
 グーグルアースが見せる町は、そんな思い出の中の映像とは違って、小綺麗なレストランに、まばらながら商店もあり、道幅も思ったより広く、夏の陽光も手伝ってはるかに明るい印象です。
 戸惑いながらも、記憶の糸をたぐりながら一歩一歩カメラを進めて、ようやく教会に辿り着き、ついでに我が家も見つけました。辺りの様子はすっかり変わってしまったものの、シャルコー通り29番地の安アパルトマンは健在で、嬉しいことに一階のパン屋もまだ営業しています。
 カメラを通して観る町は見知らぬ他人の町のようだったのですが、パン屋を見つけてようやく思い出と映像がつながりました。

 ところで教会の名前ですが、エグリーズドラガールといいます。「駅の教会」という意味です。この投げやりな名前を探すために、かれこれ二時間はコンピューターの前にいました。まあそれでも、懐かしい我が家の今を見られたから、満足です。

 名前は実にいい加減ですが、とても美しい教会です。誰が名付けたんだろう?