明日のない日

 先週日記を書いて四日後に、母が他界しました。姉夫婦が経営する小田原の病院で未明に息をひきとったとの知らせが入りました。

 白い経帷子を着て、手甲(てっこう)脚絆(きゃはん)に草鞋(わらじ)を履いて、六文銭を手に旅立ちました。母の実家の宗旨が浄土宗だったのでこうなったのですが、映画や小説の世界では知っていたものの、実際の旅装束の葬儀を初めて見ました。

 僕は、少年の頃に諸々の事情から行き場を失って、伊豆の禅寺に転がり込んでいた事があります。信心という程のものは無いのですが、門前のなんとやらで、禅宗には多少の知識と敬意をもっています。その寺でお世話になった老師は、随分前に亡くなりましたが、今でも僕が敬愛する人間の一人です。しかし禅宗は、宗教というより学問的な要素の強い宗派で、葬儀などに熱心ではありません。死者が三途の川を渡ったりはしません。
 もともと無信仰の僕は、そんな禅宗の影響もあってか、あの世を信じていません。
 母は、この古色蒼然たるいでたちでいったい何処へ行くんだろう。そして自分は何処へ行くんだろう、そんな事ばかり考えているうちに、小さな葬儀は終わりました。

 相変わらず春が遠い寒い日です。小田原の火葬場は、町外れの山の中腹にあります。
 段々畑の間を縫うように揺れるバスの窓から見える景色は、一昔前の日本の平均的な田舎の風景で、ちょっと懐かしく、薄曇りの空から差す陽光が樹々の上に伸びていました。
 火葬場からは小田原の市街が一望できました。
 都会の、いりくんだ市街地に立つ火葬場は、分厚い絨毯が敷かれて、シャンデリアが下がり、なにやら仰々しいのですが、小田原は昔ながらの佇まいで、寒々しく簡素で、目の前の景色だけが目を引きました。
 母が何処へ旅立ったのか知りませんが、見上げれば空が近く、人の終わりには、こんな場所のほうがふさわしいような気がしました。

 昔の葬儀の席には必ず、母親にまとわりついたり、退屈のあまり走り回る子供の姿がありました。似合わない、しゃちこばった格好をさせられて、お坊さんの長い読経に「早く終わらないかな〜」なんてうんざり顔の子供たち。
 憂いに包まれた大人の群れの中にあって、神妙な顔をとりつくろっていても、子供たちには、滅びて行くものを跳ね返す力が溢れています。一方に去る者があり、一方に迎えられる者がある。繋がって行く命のリレーを感じて癒されました。けれども、今度の度重なる別れの場には、子供たちの姿がありません。我が家だけではなく、どの家族にも走り回る小さな命が見えないのです。

 自分が若い頃は感じなかった感慨ですが、大人ばかりの別れは辛いのです。

 ふっつりと途切れた命に、救いがありません。何かが音を立てて滅びて行く。僕は今その瞬間に立ち会っている。そんな思いでした。

 帰りの電車で「子供がいないね」と言うと家内は黙って頷きました。