女性と演技

 近ごろ諸用があって 「夜想会」という劇団の若者たちと出会いました。まっすぐで、温かい人たちです。
 この劇団は、演出家の野伏翔さんが主宰しておられ、横田めぐみさんの拉致問題をあつかった「めぐみへの誓い」などを公演し、その際には横田さん、ご夫妻とともに募金や署名活動などもしています。
 早稲田のアトリエを訪ねるたびに、いつのまにか酒宴になって、ギターを抱えた彼らの歌声に包まれているうちについつい用件を忘れて、時を過ごします。

 僕は演劇青年だったこともなく、特に詳しいわけではないのですが、彼らの温かな笑顔を見ながら、ふと、役者さんは役柄を演じる前に、自分自身を演じているのかも知れないと思いました。

 言ってみれば、誰もが一生をかけてなにかを演じているのでしょうけれど、演技の度胸は女性のほうがあるようです。
 
 ある日、パリ美大で、モデルさんが風邪をひいて休んでしまったことがありました。協議の末、どうせなら、色んな人間を描きたいという話になり、10分程度のローテーションで、順番に生徒が台に立つことになったのですが、その日はヌードモデルの予定だったので、僕たちも裸になろうという話になりました。ご想像通り、男子生徒は大はしゃぎですが、いざ始まると、形勢が逆転しました。

 男の子は往生際が悪くて、照れてみせたり、喋ったり。最後の一枚を脱ぐ段になると、ひと騒動。裸体のデッサンは、モデルが羞恥心を持っていると、描く側が集中できません。笑い声とヤジと冷やかしが入り混じって、騒々しいことこの上ない。先生のアルベールザバロ氏も、長い髭を触りながら大笑いしていて、まったく仕事になりません。
 ところが、女子生徒たちは実にいさぎよく、さっさと服を脱ぎ捨てると、堂々と台に立ちます。その瞬間に彼女たちはクラスメイトから、モデルへと変身してしまいます。教室のふざけた空気は、彼女たちの威厳におされて一掃されました。
 僕の、よこしまな弾む心は、後ろ髪引かれる思いで遠退き、あとには、鉛筆や木炭が紙を擦る乾いた音と、時折聞こえる、静寂をはばかる軽い咳払いだけが残りました。

 ところで、僕は裸になりませんでした。有り難いことに時間切れで、順番が回って来ませんでしたので、衆人環視の中でパンツを脱ぐという、希有な経験は
しないですみました。

 今思えば、なんだかちょっと惜しいことをしたような気もします。