命をかけるということ。
今、被ばくの危険の中で、戦っている人達がいます。自衛官、消防、警察、そして東電の人達。
素人の僕たちではどうしようもないことなので、黙って見守るしかありませんが、、。彼らは菅直人が口にしたあの安っぽい「命がけ」ではなく、字義通りの命をかけています。
福島第一原発への海水投下の決断について、北澤防衛大臣は
「首相と私の重い決断を、統合幕僚長が判断し、自ら決心した」と語ったと報じられました。
〜北沢氏は17、18両日の2度の会見でヘリの乗員をねぎらう言葉も一言も発しなかった。〜
「自衛隊は暴力装置」と語った仙谷由人が官房副長官をつとめる、まるで、団塊左翼の亡霊のような政党であってみれば、当然の事なのかも知れません。
けれども、これはイデオロギー以前の組織の長としての責任の問題であり、また、人間としての最低限の品位の問題ではないかと、僕は思うのです。
後日の責任を逃れる為の布石にしか聞こえない。その人間の卑しさがこの危急の時に、言葉に現れます。
命がけで出向く人々の上に立つものは、その命の責任を一身に負う覚悟がなければ、人に命じる権利などないのです。そうであっても苦渋の選択であるはずで、だからこそ、自分の責任において、、と言い切らなければいけない、、と思うのです。
おそらく自衛官の方達は、上がどうあれ、現場に向かうでしょうけれど、その心中を思うとやりきれない気持ちになりました。