青春とはなんだ、、。

色々と考えることに疲れて、
ちょっと息抜きに、何も考えない時間が欲しくて、
久しぶりの映画館に行きました。
コクリコ坂から、というアニメ映画を見ました。
う〜〜ん、、どうにも、、
何故この映画の評価が高いのか、僕にはさっぱりわかりませんが、、。

導入からホトホト困って見ていたのですが、、
だんだん、これは、昭和20年代の青春映画のパロディであると気がつきました。当時のありがちな映画のストーリーを地で行ってる展開、、。

・・・どうするつもりなんだろう。
それに気がついてから、興味が出ました。

結局、当時の映画のありようそのままの大団円でオシマイ。
ぽか〜んと、エンドロールを眺めていました。

僕はまったく評価できない映画でしたが、、
映画そのものよりも、この映画が受け入れられたことに興味がわきました。

青春とはなんだ

大昔の安手のテレビドラマのタイトルのような題です。
おもわず、海に向かってバカヤローと叫んだり、
夕陽に向かって走ったりしてしまいそうです。
もっとも、幸か不幸か、僕は、海に叫んでる人にも
夕陽に走る人にも出会った事がありません。
でも、この広い日本の何処かに、そんな奇特な人の一人や二人いないでもないだろう、、、そんな空気が、昔はありました。
今は有り得ないでしょう。

これは、笑い話ですむ話じゃない、と密かに思うのです。
青春とは大人への執行猶予の事です。
それは、豊かな社会と、文明があって初めて許される贅沢で、今日でも、世界の多くの国の若者には青春はありません。子供と大人が有るだけです。
それは明治前までの日本でも同じでした。江戸時代の人間には青春はありません。

ねえやは十五で嫁に行き〜♪

なのです。
幕末の志士達や幕府の官吏の若さには驚かされます。十五、六で、すでに大人として、仕事を担っています。青春は近代文明が作り出した、ものなのです。

思えば二十世紀の文学や音楽、そして美術に至まで多くの芸術表現が、この目新しい土壌の上に大輪の華を咲かせてきました。
70年代のアメリカンニューシネマやフランスのヌーベルバーグも、みなこの土壌なしには語れません。イージーライダーも卒業も明日に向かって撃て勝手にしやがれも、太陽が一杯も、ロックやフォークソングのような音楽も、そして多くの文学も、みな青春の詩だったとも言えるかもしれません。

そして、今、青春は歌うに値しないようです。
二十世紀が生み出した様々な思想が、急速に輝きを失って行きます。
「未来」は世界共通の輝かしい夢でした。
「青春」は先進国共通のテーマでした。
しかし、思想は古びるのです。
思想は驚きとともに始まり、一瞬の光芒を歴史の空に放って、そして陳腐へと落ちて行くのです。使い古されて、手あかにまみれ、生命力を失って、詩としての輝きを失います。

それでも、未来は来るのです。それでも青春は今もあるのでしょう。
青春はおおむねグロテスクで滑稽で悲劇です。
それでも耐えられたのは、多くの詩がそこにあったからです。
今を生きている若者たちにも、青春は当然あるでしょう。
詩の無い、青春が。

彼らの息苦しさがなんとなく分かるのです。
そんな息苦しさがこの映画をヒットさせた背景だとしたら、あまり嬉しい話じゃありません。

次回あーとふるないとでは、フリートークですが、
青春のない時代について、ちょっと喋ろうかと思います。

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