村松画廊 終宴 

 昨日京橋の村松画廊に行きました。会場には李禹煥、菊畑茂久馬、堂本尚郎斎藤義重、篠原有司男ら、戦後の日本のコンテンポラリーアートをになって来た作家の作品が並んでいました。
終宴と題された展覧会は今月二十五日で終わり、そして画廊もまた終わります。
これらの作家と同様に、日本の現代美術の一翼をになって来た名門画廊もまた終焉を迎え、六十七年に及ぶ歴史に幕を降ろします。
村松画廊の名はこの世界では、つとに知られた名で、現代美術どころか抽象もろくろく分からなかった頃から耳にしていました。始まったものが終わるのは世のならいとは言え、そういう存在はこちらに、まるで永遠に在るかのような錯覚をおこさせるものです。銀座の老舗画廊が閉じて行く報に接する事の多いこの頃、漠然と覚悟はしていたものの、実際の知らせを手にすると、ぐらりとしました。

 格別根拠も無いままに、なんとなくいつまでも元気でいると信じていた人の訃報に接した時のような、あの、虚を突かれた感じです。まして自分が かつてお世話になった画廊となれば、なおさらでした。
重い足を引きずり京橋に向かった僕は、陽光の差し込む、まだ人気のない冬の昼下がりの白い壁に並んだ大家の作品を見て、スタッフの方に挨拶をすませると画廊を出ました。

 「この国の美術は何処に行くのだろう、あるいはもう当分何処にも行けないのかな」

 そんな事にぼんやりと思いを巡らせながらの帰路でした。

 ー 作品が売れるだけでプロフェッショナルとは呼べない。思うにプロフェッショナルとは時代を超えてそこに生活する人々の心に疑問と感動をもたらす作品を創出する作家を指すものと私は思いたい。 ー

 招待状に添えられた川島良子さんの、半世紀近く日本の現代美術を支えて来た画商の言葉です。