Manifest Destiny「明確な神意」を見る想い


 今、中東では、内乱状態になっている国もあるようです。
 中東と言っても、各国それぞれの歴史と事情がありますから、ひとくくりには出来ないのですが、それぞれの国の事情に精通したコメンテーターがいない日本では、あまり、きちっとした解説がなされません。一方、ネットの中にはかなり詳しい方もあり、様々な情報が飛び交っています。個人で、解説動画を流す方もあります。

 そんな中で、目立つのが、

中東に民主化を、、

 という声です。

そうだろうか、、それは正解なのだろうか?

 エジプトについては、民主化の可能な国だと思っています。彼らが、彼らの手で、それを選んでくれればいいと願って止みません。
 しかし、中東の一部の国は、まだ、国家として未成熟で、部族や宗派が、国家より上位概念になります。それらの国で、民主的な選挙を行なうと、誰が、あるいはどの勢力が勝つか、最初から分かってしまいます。部族の分布や人数は、国民が知っていますから。百回やっても結果が分かっている選挙を誰が望むでしょうか。

 だから独裁が幅を効かせるのです。力比べで敗者になるのは、否応無しですが、単に数だけで、永遠に支配されるのは、納得が行かない。選挙結果は、少数部族や、少数宗派にとっては、受け入れ難い現実です。民主的選挙が行なわれても、一部の国の少数派はそれを受け入れないでしょう。

 難しい問題ですが、、、
 そこで気になるのは、ネットに溢れる、民主主義を絶対視する人達です。まるで、正義の味方のように、中東の民主化を叫ぶ者達がいます。

 僕がアメリカの一番嫌いなところは、その独善です。自分達の価値観だけが、世界を幸せにすると本気で思い込んでいるところです。

 Go Westは、19世紀のアメリカの指標でした。
 Go Westは

Manifest Destiny「明確な神意」

であると、彼らは考えました。

 未開の野蛮人に対して、神の意思によって、開明をもたらすのが、自分達の役目であるというような意味です。その神意とぶつかって、火だるまになって行ったのが、日本の近代史とも言えるでしょう。

 独裁政権とそれを支えたアメリカやフランスなどを非難し、中東の民主化を叫ぶ者達も僕には同じに見えます。

 なんの変わりもないじゃないか、、。

 世界はパラレルです。
 その多様性は、他国の人々の哲学や思想を拒否する権利を持ちます。それぞれの国にはそれぞれ近代国家としての成長過程があり、それは善悪の問題ではありません。
 僕は、ヒューマニズムを基底に、自分達の信じる人権や自由の概念を振り回す国連にも、否定的です。
 それはアナタ達の価値観であり、他者のものではない、、
 しばしば、これらの事を進めたがるのは、白人国家で、アフリカやASEAN諸国などは、否定的なのですが、、。

 イランがイスラム原理主義の宗教政治を行なうのは、彼らの勝手です。僕にはシャーリアに従う彼らの価値観は分かりません。僕は、民主主義を信じます。かなり手間のかかる政体ですが、、。
 しかし、それは僕の価値観であり、彼らのものではありません。


 自分の無謬性(むびゆう)を疑う事の無い人の叫びは傲慢です。それは、宗教信者のような、自己陶酔の姿で、醜悪な19世紀アメリカの

Manifest Destiny「明確な神意」

を思い出させました。