せめてもの礼儀


先週の土曜日に劇団夜想会の「俺は君のためにこそ、死にに行く」を見に新宿紀伊国屋に。

知覧に実在した富屋食堂の女将、 鳥濱トメの目から見た特攻隊員の群像劇。 実話をもとに、石原慎太郎が書いたものを、 主宰の野伏翔さんが演出脚本。素晴らしい舞台でした。

幕間に、女優の岡安淳子さんが、 大きな目をクリクリさせて近寄って来ました。ダブルキャストなのでこの日は、彼女はお休みだったのです。
「明日は千秋楽です。私出るんですよ〜」
明るい声でそういわれて、なんだかすごく申し訳ない。夜想会は、親しくさせて頂いている方も多いので、来る日に悩みますが、さすがに二日連続でお芝居を見に来る余裕はありません。次回は彼女の出番を目指して来よう、、。

鳥濱家のどなたかが舞台を見に、遠路いらっしゃったと、、 どなただったのか、まわりの雑音にかき消されて、一瞬聞き取れなかったのですが、なんだか、聞き返すのもはばかられて、そのままに、、。
横田茂さんもいらしたそうです。

野伏さんは、パンフレットの中で、
〜「あの大戦では何故七千名もの日本の若者が、たった一つしかない命を捨てて特攻したのか?」
・・・この日本史の謎の答えが、この度の震災によって明確に見えてきた〜
と語っています。

劇を見終えて、、
〜余震と停電、交通規制に放射能不安、ガソリンと食料の不足・・・公演自体を中止する劇団も多い・・・そんな中で〜私たちはあくまでもこの公演をやり遂げよう〜と決意した野伏主宰の意図が分かった気がしました。

六十五年前の私たちの先達が、
どのように生き、そして死んだのか、、
それを問う時は、国難と言っても過言ではない今しか有り得ないという、野伏さんの想いが劇を貫いていました。

幕が下りてからも、涙が止まりませんでした。

特攻隊は外に向けては軍神だ、神様だと崇められながらも、軍の中でそれほど、優遇されていた訳ではありません。

あの戦争で、零戦の防御が薄いという事が問題になって、軍令部で会議が開かれた事があります。
詳細は忘れましたが、その時、ある軍人が
大和魂があればどうにでもなる!」と叫んですべての話が終ってしまったという事を、当時零戦の設計に携わっていた方が証言されていました。
叫んだ男は戦後まで生き延びました、、。

ベトナム戦争当時の米軍は、部隊から離脱してしまった兵隊が生き延びる為のマニュアルと装備が完備されていて、ハウツーもレクチャーされていました。その徹底ぶりに感心した記憶があります。

命より尊いものはあります。
少なくとも僕の命より大切なものは、、そりゃもう、、沢山あるに違いない。
けれども、人が生まれ、育ち、、一人前になるのに、 どれだけの手間がかかるでしょう。
どれだけの人の愛情と、苦労と、、時間がかかるでしょう。
ほとんど奇跡のような時が流れて初めて人が産まれ育ちます。

アメリカ軍はそれを良く知っていました。
日本軍はそこが分からなかった。
機械を人よりも大切にしました。
それが、大戦で一番許せない日本軍の愚かさだったと僕は思っています。

今、福島原発の冷却と安定をもたらす為に、東電の下請けの作業員の方達が、現地で悪戦苦闘しています。
彼らの作業の成否に、この国の未来がかかっています。

人は自分の命を軽んじなければならない瞬間があります。

けれども、、
現場に無理な注文をし、、
責任を押しつけ、、
ろくな装備も、待遇も与えずに、、

これでは、六十五年前とまるで変わらない。

自衛官の方が御二人亡くなられたと新聞の片隅にありました。
詳細は分かりませんが、 この震災の復旧支援に派遣されているまだ働き盛りの方です。 激務による過労死と考えるのが自然です。 3万人近い死者の中だから、、片隅の記事なのか、、。

それが、命をかけて戦う人へ手向ける花なのか?

万全の体制で送り出せ、、
最敬礼で迎えろ、、
死者も、生きている人も、、

それがせめてもの、礼儀じゃないのか、、、。

夜想会公式サイト
http://yasokai.world.coocan.jp/


  

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