あーとふるないと#20 青春て何? 村山槐多が歌ったもの

青春は若者にはもったいないと言ったのは誰だったか、、。

若いということは、ぶざまなもの。
未熟で、愚かで、過剰で、、。

自分で思うほどは、人は見ていない。
世間はそれほど他人に関心はない。

望むほど、たいそうな人間でもないけれど、
諦めるほどにダメな人間でもない。

愛情は、尽きぬほど無限にあるはずもなく、
かといって、絶望するほど冷たくもない。

そんな当たり前のことが肌で理解できるまで、
苛立ちと怒りと、
身悶えするような過剰な自意識の中で、
のたうち回っていたように思います。

思い出せば、赤面することばかりですが、
多かれ少なかれ、人はそんな時代を通って、
オトナになるのでしょう。

青春は若者には荷が重過ぎる。
その重い荷物を少しでも軽くしてくれたのが、
青春の芸術だったと今振り返って思うのです。

ある歳若い友が、、
「ゲームが私を助けてくれました、、」
と言いました。

ひきこもり、ニート、草食系、切れる若者
色んな言葉を投げつけられる若者たち。
それは何時の時代でも変わりません。
けれども、何処かに逃げ場があったように思います。
今の若者に逃げ場はあるのでしょうか、、。

そんなことを考えながらの70分でした。


青春とはなんだ、、。

色々と考えることに疲れて、
ちょっと息抜きに、何も考えない時間が欲しくて、
久しぶりの映画館に行きました。
コクリコ坂から、というアニメ映画を見ました。
う〜〜ん、、どうにも、、
何故この映画の評価が高いのか、僕にはさっぱりわかりませんが、、。

導入からホトホト困って見ていたのですが、、
だんだん、これは、昭和20年代の青春映画のパロディであると気がつきました。当時のありがちな映画のストーリーを地で行ってる展開、、。

・・・どうするつもりなんだろう。
それに気がついてから、興味が出ました。

結局、当時の映画のありようそのままの大団円でオシマイ。
ぽか〜んと、エンドロールを眺めていました。

僕はまったく評価できない映画でしたが、、
映画そのものよりも、この映画が受け入れられたことに興味がわきました。

青春とはなんだ

大昔の安手のテレビドラマのタイトルのような題です。
おもわず、海に向かってバカヤローと叫んだり、
夕陽に向かって走ったりしてしまいそうです。
もっとも、幸か不幸か、僕は、海に叫んでる人にも
夕陽に走る人にも出会った事がありません。
でも、この広い日本の何処かに、そんな奇特な人の一人や二人いないでもないだろう、、、そんな空気が、昔はありました。
今は有り得ないでしょう。

これは、笑い話ですむ話じゃない、と密かに思うのです。
青春とは大人への執行猶予の事です。
それは、豊かな社会と、文明があって初めて許される贅沢で、今日でも、世界の多くの国の若者には青春はありません。子供と大人が有るだけです。
それは明治前までの日本でも同じでした。江戸時代の人間には青春はありません。

ねえやは十五で嫁に行き〜♪

なのです。
幕末の志士達や幕府の官吏の若さには驚かされます。十五、六で、すでに大人として、仕事を担っています。青春は近代文明が作り出した、ものなのです。

思えば二十世紀の文学や音楽、そして美術に至まで多くの芸術表現が、この目新しい土壌の上に大輪の華を咲かせてきました。
70年代のアメリカンニューシネマやフランスのヌーベルバーグも、みなこの土壌なしには語れません。イージーライダーも卒業も明日に向かって撃て勝手にしやがれも、太陽が一杯も、ロックやフォークソングのような音楽も、そして多くの文学も、みな青春の詩だったとも言えるかもしれません。

そして、今、青春は歌うに値しないようです。
二十世紀が生み出した様々な思想が、急速に輝きを失って行きます。
「未来」は世界共通の輝かしい夢でした。
「青春」は先進国共通のテーマでした。
しかし、思想は古びるのです。
思想は驚きとともに始まり、一瞬の光芒を歴史の空に放って、そして陳腐へと落ちて行くのです。使い古されて、手あかにまみれ、生命力を失って、詩としての輝きを失います。

それでも、未来は来るのです。それでも青春は今もあるのでしょう。
青春はおおむねグロテスクで滑稽で悲劇です。
それでも耐えられたのは、多くの詩がそこにあったからです。
今を生きている若者たちにも、青春は当然あるでしょう。
詩の無い、青春が。

彼らの息苦しさがなんとなく分かるのです。
そんな息苦しさがこの映画をヒットさせた背景だとしたら、あまり嬉しい話じゃありません。

次回あーとふるないとでは、フリートークですが、
青春のない時代について、ちょっと喋ろうかと思います。

コミュニティ

http://com.nicovideo.jp/community/co1134810/

明日の放送

http://live.nicovideo.jp/gate/lv63280299

ヒエロニスム・ボッシュ

数少ない好きなテレビ番組に、テレビ東京でやっている「美の巨人」があります。滅多に見られないのですが、昨日ふっとチャンネルを合わせると、ヒエロニスム・ボッシュをやっていました。
ボッシュは、美術史の謎の画家です。とりわけその代表作「快楽の園」は、謎に満ちた絵です。

ずば抜けた想像力で描かれた、異形のものたち。
不可解な寓意に満ちた登場人物たちの所作。

ボッシュの生きた時代を考えれば、彼が個人的な目的でこの大作を制作したとは思えず、なんのために、なにを描こうとしたのか、それは何者か。
異端審問が吹き荒れるヨーロッパで、
この異様な絵が生き延びたのはなぜか、、。

諸説がありながらも、確定的な証拠もなく、
実際はまったくわかりません。

長らくこの画家について考えていなかったので、
テレビを食い入るように見ましたが、
やはり新しい発見はなかったようです。
ちょっとがっかりして番組を見終えると、
久しぶりにボッシュの画集を広げて、見入っていました。

あらためて、不思議な絵です。
所々にヒントらしきものは見当たりますが、
あの時代の複雑な北方ヨーロッパの宗教界の事情に精通していないと、
彼のアイロニーもユーモアも、到底理解できません。

ただただ、彼の想像力に圧倒され、
そして、当時の北方ヨーロッパ世界と
現代の世界観のギャップの深さを
ひしひしと感じた夜、、

なにを描こうとしたのかなあ、、

でもまあ、謎は謎のままでいいか、、。

あーとふるないと#14 クリスト 祭りの時間

ケドコンティというところに僕の仕事場はありました。
大きなアールヌーボー風のフチ飾りの窓の外一杯に、
ポンヌフの美しい橋が見えていました。

1985年、クリストのプロジェクトがその仕事場の目の前で始まりました。
それがこの天才作家との幸運なファーストコンタクトでした。

その後、茨城で行なわれたアンブレラプロジェクトにも
参加することができました。
〜参加、、〜本当はなにもしていないのです。
手伝いたいとは思いましたが、どちらの時も務めていて、
プロジェクトの手伝いは出来ませんでした。

それでもクリストは、
その作品を観賞するという表現とは違う気がします。
やはり、
「あのプロジェクトに参加した」
というのが一番しっくり来る作家です。

アーカイブをアップしました。
ぜひご覧下さい。

あーとふるないと#10 ジョルジュ・デ・キリコ シュールレアリスム 民族の歌

パリの夏は陽が長い、、。
10時頃まで明るさの余韻があります。

貧しい画学生は、夏の夕べ、美しい町並みをひたすら歩いて過ごしていたように思います。

シテ島の、散歩でよく歩いた道沿いに、高級なレストランがありました。
夕暮れそぞろ歩きながら、いつもその店の前で立ち止まったものです。

街は青く黄昏れて、オレンジの柔らかな光に包まれた明るい店内に、着飾った人々。
大きな美しい飾り窓越しに、キリコの作品は見えました。
へクトールとアンドロマケーを題材にした絵です。

いつかこんなレストランで食事を出来る身分になりたい。
キリコの傑作を見ながら、ワインを片手に陽の長いパリの夏の夕べを過ごす日を、夢に見ました。
どうやらかなわぬ夢で終りそうですが、、。

話はそのヘクトールとアンドロマケーの別れから始まりました。
この絵は倉敷の大原美術館にあるものですが、同様の絵のバリエーションをキリコは沢山書いています。

キリコの絵は、遠近法がことごとく、狂っています。
描かれたものも、相互の関連性に乏しく、謎めいて、、
広場には人影がなく、深閑とした風景は
なにもかもが少しづつ狂っている、、
軽いめまいを憶えるような白日夢の世界です。

そんな導入から、、彼の形而上絵画の世界がひらいたシュールレアリスムの扉という話に展開して行きました。

アーカイブをアップしましたので、ぜひご覧下さい。


あーとふるないと#10 放送後記 ジョルジュ・デ・キリコ シュールレアリスム 民族の歌

放送が始まる直前にテクニカルなトラブルがあり、かなり焦りました。先週から、フラッシュとの相性が悪いのか、アクセス不能になったりします。
パソコンを使っていて、不思議なのは、同じ条件でも上手くいったりいかなかったりすることで、理解に苦しみます。

もう、こんなトラブル続きなら買い替えようか、いやいや、バージョンが古いから悪いのだ。

初期化という言葉が浮かぶのですが、なかなか手間を考えると踏み切れません。バージョンアップをすればいくつかの問題が解決するのはわかっているのですが、現在使っているアプリが使用不能になるという、重大問題が横たわっているのです。

ううむ、、どうしてくれようか、、。

さんざんパソコンをいじり回した末、、
よし、、もう我慢ならん!
このいまいましいパソコンを綺麗さっぱり初期化して、バージョンアップしてやるぞ!

そう思い定めた途端に、、アクセス可能に、、。

ううむ、、、。
キュービックの2001年宇宙の旅が、脳裏をよぎります。
あの赤いランプがぴっかぴっか、点滅してるのが、、。


「この馬鹿パソコンめっ!」
などと機械ごときに悪態ついてから、ちょっとびくびくしてる自分がいます。もしかして、機械にも感情があるんじゃなかろうか?

どうにも、釈然としないまま、何故か急にアクセス可能になったパソコンに向かって、放送が始まりました。


放送開始直後にニコ生クルーズがやって来ました。
ニコ生クルーズとは、その時間の生放送をランダムに追って行くシステムで、ひとつの放送に数十秒しかいません。その間に興味を持った人がクルーズから降りて、視聴者になります。おおよそ30万人くらいが常時クルーズに乗っているようです。

試しにクルーズ待ちを選択してみたのですが、まさか初日からいきなり来るとは思っていなかったので、焦りました。
こんな大集団にコメされたら、論評が進まないと妙にあせって、クルーズさんを完全に無視してしまいました。
普通はクルーズに挨拶のひとつもするようですが、反省です。


そんなこんなで、ジョルジュ・デ・キリコの話から始まって、シュールレアリスムへ、、。


いずれアーカイブもアップしますが、
当日生放送、ぜひご覧下さい。

http://live.nicovideo.jp/watch/lv56309454?ref=community

あーとふるないと#8アーカイブアップ パウル・クレー 未完の絵画

竹橋近代美術館で行なわれている展覧会にあわせて、8回目の放送のテーマはクレーでした。

童心の画家、
リリカルで詩的な世界、
・・・そして音楽的な画面。
そんな一般的なクレーの魅力から話を始めました。

つづいて、この展覧会のテーマ
「おわらないアトリエ」の概略を追って解説。

そこから話の展開が変わります。

同展覧会は、
「クレー芸術のあり方についての学術的知見を展覧会というかたちで一般の人々に見せる試み」
と、その序に書かれています。

「なんという啓蒙」というコメントが放送中にありました。
たしかに、、。

しかし、それは果たして、観客に関係があるのだろうか?
作品と観客のあいだに、それ以外の他者の見解が入る余地があるのだろうか?
放送ではそんな根本的な問題に言及して行きます。

「おわらないアトリエ展」では、批評家やキューレターの言葉が、クレー作品と観客の前に立ち塞がっています。

しかし、極論すれば、クレーが何を考えたか、どのように描いたかですら、、
観客とは関係がないはずです。

出来上がった作品と観客のあいだに、なにものも立ち塞がる権利はありません。

美術は言葉ではありません。
言語で表現できないから、アーティストは美術をその表現手段として選ぶのでしょう。
しかし、その作品に結局多くの言葉と解説がつきまといます。
何故なのだろう、、。

問いは、この展覧会を越えて、
近代以降の美術のあり方の問題になって行きます、、。

またしてもタイムオーバーの放送でした。

アーカイブをアップしましたので、ぜひご覧下さい。